吾輩はこの物語の語り手である。名前は、とうとう付けてもらえなかった。とい
うことは吾輩はこの物語に登場人物として参加することはないらしい。まあ、役ど
ころがないと言うのもちとさびしい気がするがナレーターに徹すると言うのも悪い
ものではない。そこで物語の出だしを考える。

  深い海の底である。
   
  といっても、これは単なるでっち上げのいいかげんな物語であるので、そこに住
むのが沿岸回遊性のケンサキイカやヤリイカやアオリイカでなく沖合性のスルメイ
カやホタルイカであることを意味しない。ちなみにこの「物語」(?)の作者は無
類の酒好きで、酒の肴にはイカばかり食っているが、この物語は飲みながら書かれ
ており、読むに耐えるモノである保証などどこにもない。
 それどころか作者はひょっとするとすでに重症のアル中患者かもしれず、書いて
る途中で突然発狂してパソコンやCRTを窓の外に投げ出してしまうかも知れない。
ああ、指先がふるえる……をを!蝶が舞う、あれは、うむ、モスラの奴め。(こ
らこら作者、物語が始まらないうちからそんな調子ではなんとも先が思いやられる。
しっかりしないと吾輩は逃げだすぞ。

             1.国境の岩蔭
  
 深い海の底である。
  
 イカ姫は侍女のキャトルと共に散歩の途中だったが、大きな岩が壁となった暗い
不気味な場所に出てしまっていた。
  「姫、余り近づくと危のうございますわ」
  「分かってるわ。この壁の向こうにはタコの王国があるのね。私たちイカ族と延
々と戦い続けてきた8本足の怪物たち、グロテスクで陰惨で残忍でそのくせ小心な
海のケモノ……」
 イカ姫は踵を返そうとして何ものかに足をすくわれてしまった。なんと、大きな
海草がくねくねと触手を伸ばして姫の体に巻きつこうとしているのだ。キャトルは
大声で助けを求めた。しかし視界の届く限りの海底にはイカ族の影はおろか、魚一
匹さえ見ることができない。その時、壁の向こうから岩を乗り越えて何者かが来る
のが見えた。(このすさまじいばかりの御都合主義はどうだ)あ、あれはタコだ。
キャトルは小太刀を構えた。
  「まて、私はタコ王国の一子、王子タコ太だ。いかに憎いイカどもとはいえ、女
子供に手出しはしない」
 えいっタコラマと奇怪な呪文を唱えるや否や、タコ太は腰のつるぎを抜くとバケ
モノ海草めがけて切りつけた。たった一太刀のはずなのに海草は一瞬バラバラに砕
け散った。
 「もう大丈夫。お怪我はありませんか」
 「ええ、助かりました。ありがとう」
 タコ太はじっとイカ姫を見つめた。見つめたまま、視線を離すことができなか
った。
 「信じられない。イカが、こんなに美しいなんて」
 「私もですわ。タコがこんなにすてきだなんて」
 「君は、イカにも美しい」
 「まあ、そんなに、はっきりおっしゃるなんて。すかんタコ」
 イカ姫の唇は真っ赤に染まった。タコ太の8本の足の一本が同じように赤く光
った。海底をあまねく照らす薄明かりの中でそこだけが時間が止まったようにい
つまでも動かなかった。
 「このままでは、物語が進みませんわ」
 目のやり場に困っていたキャトルがつぶやいて、時は再び稼動をはじめた。岩
の向こうでざわざわと物音がする。タコ太を探す兵士達の一群が近づいてきたら
しい。
 「うむ、あなたが見つかると残念なことになる。行かなければ……」
 「また、お会いできるでしょうか」
 「また、一週間後、この時間に、ここで会おう」
 「きっとですわ……」
 タコ太は岩の上へまっしぐらに消えて行った。
 バケモノ海草に足をすくわれたときのイカ姫の動揺はすっかり収まっていたが、
代わりに彼女を捉えた新たな胸のときめきは、容易に離れなかった。

            2.イカ帝国の宮殿

 その夜、イカ帝国の宮殿の一室。イカんともイカめしい、ひときわ大きなイカが
玉座にふんぞりかえっている。広間をホタルイカが取り巻き、明るく華やかなその
部屋には、イカ帝王の前に将軍トロイカと武将イカロスが控えていた。

 「我らイカ族こそ、わだつみの統治者にふさわしい、そうじゃな、トロイカ」
 「はっ、何と言っても、イカ族の優秀さはタコごときの比ではありません。まず、
酒の肴はなんといってもサキイカに限ります。イカサシ、イカそうめんときたら、
これはもうゴージャスの極み。焼きイカ、酢の物、てんぷら、芋とイカリングの煮
っころがし。塩辛なんぞはビールの必需品でございます。なんで、ビール券に塩辛
交換券が付属してないのか、まったく解せないくらいです」
  (何故「アタリメ」が出てこないのかと、皆さんはいぶかしく思うであろう。実
はこの物語の作者はアタリメを噛んだ途端に前歯を折ったことがあるらしいのだ。
その時はまだ豆腐ばかり食っていて、歯が丈夫でなかっと思われる。アタリメを口
にいれたとたん前歯の上のまん中あたりが先端3分の1くらいのところで折れた。
その瞬間のショックたるや大変なものであったという。まだ若い頃で、赤い糸の先
が見えない頃であったので、「欠けた歯のせいなんぞで、一生のつれ合いになるか
もしれぬ女に、会うや否や毛嫌いされてはたまらない……」しかし彼はその時、
大きな勘違いをしていたのである。彼は赤い糸をなくすかもしれない歯を失ったの
でなく、後年それを噛みきって逃げ出すべき歯を、この時失ったのだった)
 「うーむ、そのとおりじゃな。で、イカロス、お前はどう思うかな」
 「はっ、何と言っても、イカ族の優秀さはタコごときの比ではありません。まず、
食品成分表によりますとタコ同様カロリーの保有は少ないのでありますすがほとん
どの栄養素でイカはタコに勝っております。イカはアデニル酸とグルタミン酸を保
有しておりこれが噛むほど旨いあの独特の味を出しているのです。しかも、イカに
はタウリンというコレステロールを抑える物質が保有されており健康食品としても
最高の栄誉を手中にしております」
 「ううーむ、なかなか博識じゃな、お主は戦に強く、頭もいい。姫の婿に迎えや
がてはわしの跡継ぎとなる男じゃ。しかしその前にここなトロイカとひと仕事して
もらわねばならぬ。それはな、タコとの決着じゃ。さいわい、タコ王は病気との噂
も流れておる。ここ数カ月あちらからは攻撃して来こんとこをみると、あながちガ
セネタでもないらしい。今こそ海の権力を一手に奪うときなのだ。放って置くとせ
っかくタコ王が死んでもあのタコ息子が成長して力をつけんとも限らん。ここで一
気に決着をつける」
 「待って、お父様」
 部屋の片隅から、この情景を見つめていたイカ姫はたまりかねたように王の前に
身を乗り出して言った。
 「タコ達と争うのはやめて。タコは決してお父様が言うような悪い生き物じゃな
いわ。私は今日、タコ太様に命を助けられたのよ。化物みたいな海草に巻きつけら
れ、殺されそうになったの」
 イカ帝王は驚いて娘を見つめた。なにが起きているのか分からないくらいだった。
娘よ娘、お前は一体どうしたんだろう、何があったんだろう。私の愛しい分身よ、
タコどもはお前の祖先を、家族を、部下を、その家族を幾世代にも渡って殺してき
た。あいつらタコ族を絶滅させることこそ我らイカ族全ての夢、使命、義務。そし
てその殺戮こそ我らの誇り、勇気、存在証明ではないか。彼らの死滅こそ私の、そ
してお前の、何よりもタコ族全ての幸せの条件なのだ。そんなことは私たちの自明
の理、事の当然、言うまでもないことではなかったのか。それなのになんという、
晴天のへきれき、驚き桃の木、山椒の木ではないか。イカ帝王の頭の中はパニック
になった。それはたちまちにして怒りに変わった。
 「タコがなにするもんじゃいっ。何でお前はタコなんかの肩を持つようになった。
タコの馬鹿息子になんぞ助けられおって、恥を知れ。むむむ、よし、わし自らタコ
の息子に娘を助けてもらった礼に出かけよう。礼は必ず言うぞ。だが、その直後だ。
奴がうだうだ恩着せがましく手柄を自慢しようとするその口に、わしの剣を突き刺
してやろう。あわてて墨を吐きながら今度はその墨に窒息させられて奴は死ぬのだ。
イカかタコか、今はふたつにひとつだ。トロイカよ、出陣じゃ」
 怒ったときのイカ帝王は始末に負えない。多少むちゃくちゃな作戦でもとにかく
実行してしまう。これは困ったことになった。イカロスは戦の準備に部屋を立とう
として、その前に許嫁に慰めの言葉をかけようとした。そうしてイカ姫に近づいた。
王と自分の身を案じて気も狂わんばかりのはずの姫に。しかし姫の口から出たのは
王の名でもない、自分のそれでもなかった。
 「ああ、タコ太様、ご無事でいてください……」
 イカロスはぎょっとした。
 (女というやつは貞操のかけらもなにもあったもんじゃない。結婚もしないうち
に将来の夫に聞こえぬざまによその男の名を口にするとは。しかもその相手は父親
のまた夫となるべき者の、殺すか殺されるかの宿命の敵ときている。うむ、こうな
ったら何がなんでもこの戦でタコの息子を叩き殺し、姫の顔を涙でくしゃくしゃに
してやろう。そしてその涙の乾かぬうちに、力ずくでも、ものにしてやるのだ。イ
カ王とてこの際だ、たとえバレても文句は言うまい。ふぉふぉふぉ……)なんと
も陰険なイカがいたものだ。こんなイカを食ってしったらひどい下痢をしてしまい
そうだ。
  
             3.戦場
  
 とにかくこうして戦闘は一方的に再開された。当然の事ながらイカ軍の攻勢のう
ちに戦いは進んだ。じりじりと後退するタコ軍はついにタコ城の周辺にまで追いつ
められた。そのとき突然軍の戦闘に躍りでた勇者がいた。もちろんタコ太である。
(そうでないと物語にならない)。タコ太は8本の足に剣を持つとぐるんぐるんと
振り回した。全部の足で剣を持ってどうやって歩くんだと言われそうだが、出来そ
うにないことをやってしまうのがタコ太のすごいところなのだ。たちまちにしてイ
カたちはバラバラにされて先頭の兵のほとんどを失ってしまった。イカ軍はじりじ
りと後退を始めた。
 「待て。さすがはタコ太王子、なかなかやるではないか。だが、こんな小ぜりあ
いを続けていてもしょうがない。一騎打ちを申し入れる」
 イカ軍の先頭に立った兵士が言った。イカロスであった。敵も勇者なら一騎打ち
を受けざるを得ないだろう。読みは当たった。しかし小ぜりあいというより一方的
な  劣勢なのに、イカロスの自己過信は彼の実力の薄さでもあった。2人の強者は
それぞれ剣(ええと、ここはもちろん1本ずつ)を持ち対峙した。
  「きえーっ。はりまおー」
 けったいな声を張り上げてイカロスが切りかかった。タコ太はまったくあわてる
風もなく、ひらりと身をかわすとなにやら呟いた。
 「タコホー。残念でした一回お休み」
 「む、む、ムムム、ね、ね・む・い。ばたっ」
  突然雷撃のごとく襲った睡魔に倒れた途端、イカロスの体はタコ太の剣でばら
ばらにされてしまっていた。こうなっては大変、イカの軍勢は一斉に回れ右をして
我勝ちに逃げ始めた。しかしタコ太は敵の逃げる足より早くまっしぐらに歩を進め
目標を定めると剣を振りかぶった。将軍トロイカは体をほぼまっ2つに裂かれその
まま絶命した。なんたる事態。イカ軍は最強の勇者のみならず総指揮官さえも一度
に失ったのだった。こうなったら蜘の子を散らすようにイカ達は逃げ惑った。この
様子を、自ら出陣し最後方に陣取って見ていたイカ帝王も見ていた。大勝利を信じ
て、雄々と構え、自分の出番を待っていた帝王は、主力をほぼ失いトロイカ将軍に
次いでイカロスまで討たれたのを見て取るや否や一目散に宮殿めざして逃げ帰った。
 タコ太は深追いはしなかった。今は何よりも重病の父タコ大王の容態が心配だ。
イカ達の逃げる彼方を見やったタコ太の心の中には何故か悲しみが湧いてきていた。
 「イカ姫……」

            4.イカ帝国の宮殿(2)
          
 信じられない大誤算にイカ帝王は唇を噛みしめ全身の震えを禁じ得なかった。自
ら出陣した戦でこれほどの打撃を受けるとは。しかも最初のうちは圧倒的な勝利に
思えたのに、あっという間に形勢が逆転してしまった。それもこれもあのタコ太の
せいである。何よりも悔しいのは最後に自分がタコ太を成敗すべきところで、あま
りにもあっけない事の展開に思わず恐怖して逃げてしまったことである。帝王の実
力からすればタコ太はまだ相手ではない。にもかかわらず、瞬間にせよ自分にあれ
だけの恐怖を与えた敵の底力は侮るわけにはいくまい。放っておくとどこまで強く
なるかわかったものではない。それにしても打撃は余りにも大きかった。何と言っ
ても主戦部隊は壊滅したに等しい。はっきり言って今ひと息に敵軍に攻め込まれた
らイカ帝国は絶滅するであろう。だが、敵は攻めて来る気配さえ見せない。やはり
あの噂は本当らしい。タコ大王は死の床についているのだ。だとすると本当に今回
こそ千載一遇のチャンスであったわけだ。それが物の見事に潰れてしまった。もう、
当分立ち直れないだろう。願わくばタコ大王の死がなるべく先に延びてもらいたい。
帝王は敵勢力の弔い合戦を恐れたのである。ああ、まさか敵王の延命を祈ることに
なろうとは夢にも思わなかった。とにかく今は戦力の立て直しを計らなければ。次
の戦闘までにどこまで戦力を復活できるか。それにしてもタコめの子せがれは成長
著しい。あれほどの勇者が我が軍にいれば鬼に金棒、イカのキンタマ。ところがこ
ちらときたら婿となるべき男がやられて後継にはこれという男もいない。ううむ、
後は敵のタコの神様にお百度参りでもなんでもして、タコ王延命に賭け、ただひた
すら時の経つのを待つか。
  「お父さま、ご無事で何よりですわ」
  負け戦を知ってイカ姫は父の側にやってきたが、そのやつれた顔を見て慰めの言
葉も出ないほどであった。
  「おお、姫か。心配せずともよい。戦に勝ち負けはつきものじゃ。だが、わしは、
おまえの許嫁を失ってしまった。イカロスは勇ましくて賢い、いい奴じゃった。か
わいそうな奴。しかしな、すぐにおまえの婿は決めてやる。そうじゃ、喪が明け次
第、国中の勇者を集め武闘大会をやろう。そこで優勝した奴がおまえの婿じゃ。そ
うそうに結婚して、強い子供を一杯つくってくれ。そうして今度こそタコどもを根
こそぎにしてやるのじゃ。あのタコの息子なんかに負けぬ強い子供をうんとたくさ
ん産むんじゃぞ」
 「えっ。タコ太様も戦に出られたの」
 「様だけ余計じゃ。あの馬鹿息子に、トロイカも、お前の許嫁も、みんな食い殺
されてしまった」
  「……(絶句)」
  「いいか、二度とあのタコ息子の名前を口にするでないぞ。あいつこそおまえの
父親をもうちょっとで食い殺すかもしれなかった魔物なんだからな」
 吐き捨てるようにそう言うとイカ帝王はその場を離れた。姫はしばらくじっとた
たずんでいた。いきなり襲ってきた様々な苦悩が彼女を縛り付けて責めさいなんだ。
長い長い苦しみの渦が竜巻のように稲妻のように、エアを吸ったポンプのフード弁
から泡を巻き込む水流のように(なんのこっちゃ)襲ってきたしかる後、すっくと
立ち上がる彼女のまなこにはもう迷いのかけらすらなかった。
  「私がタコ太様を殺るしかないのね」
 
             5. 数日後、国境の岩蔭(2)
     
 「約束の1週間後だ。イカ姫は来るだろうか。あの後、戦とはいえ俺は姫の許嫁
を斬った。そして危うくその父親さえも殺すところだった。いくらなんでも姫はも
う来ないだろう。しかし、あの時以来俺の心はいま一度姫に会いたい気持ちだけで
一杯なのだ。だが、仮に姫に再び会えたとしても、それでどうなるというのだ。殺
戮の歴史を担う両族の片方の王子が、相手の姫と会って思いのたけを伝えたとして
も、その先どんな希望もあるものではない。だが俺は果して姫なしでこの世を生き
て行けるだろうか。」
  そうやって岩に腰掛けて思い悩んでいる王子の前に、イカ姫はたった一人でやっ
て来たのだ。最初、タコ太はついに自分が恋に狂って幻影を見るようになったかと
疑った。しかし、それはまぎれもないイカ姫であったのだ。しかも今日タコ太の前
に立った姫はこの前より数段と凛々しく、美しかった。そのエラはあくまでうやう
やしく控え目に周囲に艶やかさを誇示しながら張られており、胴の部分は柔らかく
新鮮な滑らかさを誇り、10本の足はくねくねとそれぞれの生命を躍動させ、かつ
全体の美を調和させていた。しかしその瞳にはやさしさがなかった。強い眼差しは
明らかに決意を、まぎらうべくもなく殺意をあらわにしていた。タコ太は一瞬ぎょ
っとしてすべてを悟った。イカ姫の躍動する足の一本にキラリと光るものが見えた。
  「……」
 「よろしい。僕の命を貴女にあげましょう。しかしそれは敵国の王子としてでは
なく、許嫁のかたきとしてでもなく、父君の命を狙う悪党としてでもない。いずれ
このままでも、僕は貴女に恋焦がれて死んでいくのだ。恋などする馬鹿な男として
貴女の膝の上で死んでいけるなら、僕は本望だ」
 そう言ってタコ太は仁王立ちになった。今のタコ太ならどこからでも、ひと太刀
で殺せたろう。しかしいくら待っても刃(やいば)は彼に届かなかった。見ると、
イカ姫のりんとした体は今やくずおれて地にうずくまっていた。肩が(エラが?)
かすかに揺れていた。
  「わたしは、わたしは、何ということを……タコ太様がそれほどに私の事を思
っていてくださったとは。この前ひと目お会いしたとき以来、わたしの愛こそ深い
ものと思っていましたのに。だって、命を救っていただいたんですもの。それが、
それが、もとはと言えばタコ太様が悪い方でないと知ってもらおうと口にした一言
が逆に父の憎しみの炎を燃えあがらせてしまった。そして今度の戦をあんな形にし
てしまって、イカ族を大勢死なせることに。ああ、わたしは貴方を殺すしかないと
思い込んでしまったんだわ。だってイカ族の誰が死んだって苦しまないほどにタコ
の貴方を愛してしまっていると気づいた時、わたしは自分の罪の深さが本当に恐ろ
しくなって、そして、とうとう誰よりも貴方が憎らしくなってきたんですもの」
  わかったようでさっぱりわからない論理だ。まあいい。恋というものは、わかっ
たようでわからないようなところがたくさんあるのだろう。なにもかも先の方まで
わかってしまったのでは、だれも馬鹿馬鹿しくて恋など出来ないかもしれない。と
にかく2人(?)はこうしてお互いの愛を確認し会った。そして長い長い抱擁をし
たのだ。抱擁の果てにどこまで進んだかなんてことは誰にもわかりはしない。わか
っているのは、長い抱擁の間、余ったイカ姫の2本の足がゆらりゆらりと深い波の
谷間で果てしなく揺らめいていたということだけだ。
 愛の抱擁の末に2人は重大な決意をした。このまま別れたら、もう2度と会えな
いだろう。今度会う時には敵同志で、本当に殺しあうしかないかもしれない。なに
もかも捨てて、駈落ちをするんだ。2人がいれば、どのみち殺りくしかない両族で
あるが、いなければこれ以上の戦争にはなりようがない。
 タコ太とイカ姫は海面めがけて旅立った。陸近くの海面には危険が一杯である。
しかし追っ手から逃れるにはなるべく遠い場所で、簡単に近寄れない所を選ぶしか
ない。
        
              6.海上
   
 イカ・タコの世界から離れた途端、2人は様々な敵に遭遇した。鮫だの鯨が海水
と一緒に大量に飲み込む魚介類の中に、一緒くたに飲み込まれそうになったことも
1度や2度ではない。苦労の末に海の上にやっとたどり着いた。そうして彼らは、
ようやく空の青さ、雲の白さ、海の広さを知ることができたのである。
 ある日、2人は海の上に浮いている甲イカと巡り会った。甲イカは歳をとると浮
袋の空気を調節出来なくなって水面に浮いてしまうのである。そして死を向かえる
までぷかりぷかりと波間を漂うことになる。実際は海の獣達のえじきになってしま
うのであろうが、運がいいと、この甲イカのようにいつまでも海上の散歩を楽しむ
ことになる。
 「なな、なんじゃ、あんたたちは。タコとイカが手を取り合って泳いでいるなん
ぞ生まれて初めてみるぞ。ふむ、なんか子細がありそうじゃな。両人とも良家の出
のようじゃが」
 2人はいきさつを話した。
 「なるほど、駈落ちというやつだな。うーむ、うむうむ。わしの占いによると、
2人はすぐに国もとに帰った方がいいな。タコ太王子の父君は今日明日の命じゃ。
心配せんでもいい。父君同士は2人の駆け落ちで話し合うことができたようじゃ。
両国はひとつになってあなた方を迎えるであろう。2人は一緒になって子供たちを
たくさんもうける。大きな暗雲も見えるけれど、大丈夫、どんな困難も愛情があれ
ば乗り越えられるよ」  
 2人はこれを聞くと急いで国に帰る事にした。しっかり手と手をとりあって帰路
に向かった若者達をみて、甲イカは壮快そうに微笑んだ。老イカの占いはもう一つ
の事実を読んでいた。すでにイカ姫のお腹には2人の愛の結晶が無数の生命を結ん
でおり、もう幾日もしないうちに、元気な命が、彼らのミニチュアが、いっぱいこ
の世に誕生するのだということを。子供たちに囲まれた若いタコとイカの夫婦の幸
せを思うことはすばらしいことである。浪の上にぷかりぷかりと漂いながら、青い
空を見上げ、老イカは若者たちの幸せをいつまでも祈り続けた。                             
  (ロマンのみなもと、生命の母である、私たちの海の自然を守ろう)