【電脳密室殺人事件】(1) 「先日はどうも。いやー、びっくりしたなあ。本当に、十年ぶりなんだよな。た しかに記憶にある顔だが、はてどの事件の犯人だったかと思い出すのに時間がかか ったよ。わっはっは。いや、失礼、仕事柄とはいえまったく失礼なことを……」 電話をかけてくるなり喋りまくっているのは刑事の広田で、先日、免許証の更新 に行ったS警察署でばったり出会った男だ。お互いどこかで見た顔なんだが思い出 せないでにらみ合って(こちらはにらんだわけではなく相手に反応しただけなのだ が)しばらく沈黙のままだった。もっとも、相手が刑事であることは場所柄と目つ きですぐにわかった。その体格と表情から、私は過去の記憶を手繰ってみたが、す ぐには思い出せない。先に思いだしたのは相手の方だった。 「中桐じゃないか、学生時代、アルバイトで一緒だった広田だよ」 食品会社の倉庫でバイトをやっていたときの仲間で、趣味が合わないため、あま り話をしたこともなかった。ただひとつだけはっきりと思い浮かべたことがある。 男が旅行に行くというので倉庫の裏の空き地で頭を刈ってやった。その時、耳の後 ろをつい刈りすぎてしまい、知らぬ顔をしておればいいものを耐えきれずに吹き出 してしまった。バイトで貯めた金で旅に出て、青春の思い出をつくろうとしていた 男にはそれは許せない過ちであったらしい。顔を真っ赤にして立ち上がるとぶつぶ つ文句を言いながら向こうの方へ行ってしまった。 「あん時はひどい刈りかたしやがって、おかげで旅行のロマンが台なしだった」  「やっぱりな、あれを根にもっていたんだろう。旅先でもてなかったのを、俺の 散髪のせいにして、帰ってきてからも口をきかないままになって、それっきりだっ た」 こうして私は広田と警察署のはす向かいにある喫茶店でしばらく話をした。広田 はオーディオ関係の専門学校を出たが職が見つからず、親戚のコネで警察官になっ た。私は大学を休学したり留年したりしたが結局8年かけて卒業しフリーターのよ うなことをしながらもの書きを志したが、芽が出ないままである。飯の種として事 務所兼住居である安アパートの一室に「代書屋」の看板を出してはいるが、学生時 代に取った公的資格の免許を使えば役所で個人情報の閲覧ができるのを利用して、 実際は私立探偵の手先のような仕事をしている。いくつかの探偵事務所から事務的 な調査を請け負ってやっているのだ。最近では「不倫ブーム」のおかげで、結構い ろんな依頼がくる。とりあえずは食うのに困っておらず、空いた時間もあるので、 趣味に時間を費やすこともできている。 私の唯一の道楽はパソコン通信で、小さな草の根BBSの、ミステリやSFや詩 の好きな仲間が集まる電子会議室に作品をアップロードしたり、ボード上の軽い話 題につき合ったりしている。 もっとも広田にはパソコン通信のことはあまり興味がないようで、そういう相手 にこの話題ばかりしても心中ひそかにオタクだのマニアックだのと思われるのが関 の山だ。広田は結婚して2児のパパだという。命を張って家族のために生きている のだろう。私は30過ぎていまだ独身だ。少しはあせりもあるが、いまさらどうな るものでもない。 「あんた、コンピュータに強いっていったな」 電話で広田が聞いてきた。いや、パソコン通信をやっているとは言ったがコンピ ュータに強いというわけではない。 「実はな、管内のビルで殺人事件があった。これが、いわゆる密室殺人事件なん だが、ここの警備システムがコンピュータ制御で、わたしにはさっぱりわからん。 明日そのビルでシステムの説明があることになっているのだが、管轄で事件が多発 して人手が足りん。そこで君のことを思い出して、ちょっと手伝ってもらおうと思 ってな」 それで、実は報酬はないとか、あんまりしゃべるなとか、勝手なことを言われて、 それでもこの件を受けるようにされたのは、警視庁の信用を負い家庭の幸せを支え ひたすらたくましくなってしまった広田の押しの強さに負けたのかもしれない。 広田によると事件の概要は次のようである。そのビルは某新聞社の所有であるが、 ここでは記事を直接作るような仕事はなにもしていない。様々な分野の記事を作る ときに参考にできるデータを集めている。またそれぞれに専門のスタッフを集めて、 外部の企業の依頼によるデータを分析して情報をそれらの企業に提供する仕事をし ている。その他に会員企業相手に各界の講師を招いて講演会を主催したり、定期的 に専門誌の配布もやっているらしい。このビルは新聞社が将来、本社屋改築のため に取り入れる予定のいろんな最新設備を導入しており、いわばインテリジェント実 験ビルといったところだ。 殺されたのは井坂淳子というベテランの女子社員であるが、彼女は30代の半ば で、いわゆるバツイチだった。前の亭主や、つきあっていると言われる男などは、 調べた範囲では犯行に結びつくものはなにも出ていない。 殺された夜、警備システムのハードディスクに記録されている限りでは、彼女は 4Fの家庭欄向けデータセンターで残業してこのビルの当日の最終残務者であった。 その後、異常侵入などの警報により警備会社の社員が駆けつけてくる仕組みの「機 械警備」の発報はなく、翌朝最初の入館者であり死体の発見者である清掃員が入館 するまでの間、人の出入りはまったくない。  死体は4Fの事務室内にある、彼女のデスクの側で背中からナイフで刺され、倒 れた状態で、床に転がっていた。通路部分に飛び出た椅子を危ぶんで清掃員が近づ き、死体を見つけた。