【電脳密室殺人事件】(2)  翌日、私は約束の午後1時に近くの喫茶店で広田と落ち合いビルに向かった。  ビルの玄関の自動ドアの前の壁にちょっとした装置とインターホンが設備されて いる。  「このビルは昼間でも簡単には入れないんだよ。社員や関係者にはIDカードが 配布されていて玄関のオートドアはカードリーダという装置にカードを読みとらせ てからでないと開かない仕組みになっている。社員はそれで出退勤や残業時間を管 理されているらしい。我々の場合はこのインターホンで新聞社の本社の方に連絡し、 本社からのコンピューター操作でこのドアを開ける仕組みになっているらしい」  「管理室のようなものはないのかな」  「設備機器管理のための中央監視室というのがあるんだが、年輩の所長の他は管 理会社から派遣されたメンテナンスの設備技術員2名しかいないようだ。監視室は 昼間でも不在のことが多いらしいね。コンピュータ制御か。やれやれ、大変な時代 になったものだ」  広田はぶつぶつ言うとインターホンのボタンを押して、来訪を告げた。  「警視庁の広田と探偵の中桐です……」  私は「探偵」と言われたのでどぎまぎしてしまったが、そういう役割だったなと 覚悟を決めた。オートドアはちょっと間を置いて開いた。中にはいるとロビーがあ り、その正面に向かったところで大きな画面のビデオ装置が外国の湖や城の風景を 映し出しており、バロック音楽が流れていた。しばらく見ていると画面が切り替わ り新聞社の宣伝が映し出される。  ロビーを抜けて廊下を少し歩くと「中央監視室」と書かれたドアがあり中に入る。 それほど広くない空間に様々な装置が並べられてありCRTやキーボードの付いた ものもいくつかある。来客用に長方形のテーブルと椅子が置かれてあり、右奥の場 所の事務机に、頭のみごとに禿上がった年輩の男がこちらを向いて座っている。背 は低いが、肩がやや盛り上がって、屈強そうな、いかにも頑固者といった感じだ。 長机のほうにはセールスマン風の男が鞄を前にして座っている。  年輩の男の方がにこにこしながらこちらに挨拶してきた。  「ごくろうさんです。えらい事件が起きてしまいましてな。さっそくですがここ の警備システムの説明ということで、N社の優秀な技術スタッフに来てもらいまし た。ええと、念のためにうちの設備の者も呼びましょう」  男に向かって広田は私を紹介した。  「矢熊所長またお手をわずらわせます。こちらは私立探偵の中桐といいまして、 わたしの古くからの友人です。コンピューターに強いので、今回は手伝ってもらう ことにしました。あ、名刺は切らしたんだったね」  「……」  私は言葉に詰まってしまったが、すかさず長机の向こうの男が挨拶してきたのに 救われてそのまま黙っていることにした。  「あ、わたしN社のSEで谷村ともうします。今日はこちらのシステムの説明に 伺わせていただきました。この度はまことに大変な事件でございまして、私どもと いたしましても、できるだけのご協力を……」  そのうちに作業着姿の男が2人きて長椅子に座った。矢熊が2人を紹介する。  「私どもの設備技術スタッフで、こちらが電気技師の長谷川、こちらがボイラー マンの辻野です。この部屋のコンピュータ機器の取扱い操作はこの2人でやってお ります。いやー最初この設備を見たときには、私などもう60過ぎた老体でコンピ ュータなんかさっぱりわからんもんですから、この2人が来てくれたおかげで本当 に助かっております」  「いえ、私どももパソコンやオフコンの操作はここに来て覚えたんですよ。二人 とも、とりあえずワープロはなんとか扱えましたんで……」  そう応えた長谷川は40代の男で薄い色のサングラスを掛け、痩せた、いかにも 知的な感じのする男である。辻野のほうは30才くらいか。ふてくされた態度でせ わせわと落ちつきなく工具のモンキーレンチを持ってちゃかちゃかと手で動かすと 机にとんと音をさせ置いた。この2人は新聞社とは別のビルメンテナンス会社から 出向してきている。  谷村はよほど堅物なのか、コンピューターで教育されたからなのか、それとも刑 事を前にして緊張しているのか、唐突にシステムの説明をはじめてしまった。  「それでは○○ビルセキュリーティーシステムの説明を始めます……」  まるでマニアル通りの説明で、宣伝を聞かされているようでもあり、要領を得な い、事件との関係などまったく考慮にいれていない説明であったが、関連のありそ うな部分だけを要約するとこうなるらしい。  1) いかなる人物といえども入退館時には「IDカード」を表玄関か裏の通用    口の外部に備えつけてあるカードリーダーに操作しないと入館できない。     入館後、通用口内部のセキュリティー・ボックスのカードリーダにIDカ    ードを読み取らせると当該階用のボックスが開く。その階の最初の入館者は    ボックスのキーを「警戒」から「解除」の方向に回しキーを取り出して入館    する。鍵を「解除」にした段階でボックスのパイロットランプが警戒=オレ    ンジから解除=グリーンに変わり確認できるため2人目以降の当該階入室者    はこの動作を回避できる。     そこでエレベーターが当該階に停止可能になる。エレベーターで当該階に    入室した最初の入室者はエレベーター横のその階の専用ボックスに鍵を入れ    る。このボックスもIDカードの操作がなければ開けることができない。     最終退室者はIDカードでこのボックスを開け、キーを取り出し1F通用    口まで降りてセキュリティー・ボックスをカード操作で開けてキーを差し込    み「解除」から「警戒」の方向にキーを回す。この操作でエレベーターは当    該階に不停止となる。その後各階の赤外線センサーが人の動きをキャッチし    たときパイロットランプは「警報」=赤を表示する。     カードリーダによる操作は中央監視室のセキュリティーシステムに記録さ    れる。     「警報」は警備会社のセンターに移報され、20分以内にガードマンが駆    けつけてきて調査が行われる。  2) 内部階段はあくまで非常用であるが、出るのはワンタッチの操作で自由で    ある。出れば自動的にロックされる。入るためにはフロア入り口のカードリ    ーダでIDカードによる操作が必要である。     清掃員や管理関係者はこのカードを持っているため出入りはまったく自由    であるが、当然この操作はセキュリティーシステムの記録に残る。    3) 建築や消防の法規による2方向避難の原則を満たすために非常用外部階段    もあり、外部への避難はワンタッチの操作で可能であるが、再びロックさせ    るためには専用のキーが必要である。警戒中に外部階段が開けられると警備    会社に警報が移報される。     4) 警備システムのみならず、ここの各設備監視システム(設備運転記録・設    備警報記録・設備状態記録・電話課金・会議室使用予約・警備・出退管理・    残業管理等)は実験的なシステムのためLANは組まれておらず、またプリ    ンタに記録を出力させないシステムになっている。各システムがプリンタ出    力を実行するとプリンタ本体や用紙だけで大幅なスペースを取ってしまうた    め、記録は各システムごとにハードディスクに記憶され、バックアップのた    めに同時にフロッピーにも記録されている。     データをプリンタ出力して見る場合には各システム共通のマスタプリンタ    (パソコンが装備されている)を使用できる。そのため、各システムともデ    ータはテキストファイルとなっている。    谷村の説明は、警備システムをはじめとするこのビルの諸システムがオフコンや パソコンで構成された完璧なものであることを窺わせた。しかしあくまでこのビル が本社屋改築のための実験的なシステム構成のため、OSが古いなど、手抜きもあ るようだ。  「で、犯行当日のデータはどういう風に残っているんでしょうか」  私はそう質問した。とりあえず、早くそれを見たいと思ったのだ。    谷村が警備システムのフロッピーを取り出し、所長の矢熊がそれを受け取った。 マスタプリンタは矢熊のすぐ側にあったのだ。パソコンのスイッチを入れてドライ ブにフロッピーを入れようとした矢熊の手を遮ったのはボイラーマンと紹介された 辻野だった。  「所長、それじゃフロッピー逆さまだよ」  機嫌の悪そうな物言いをすると辻野は矢熊の手からフロッピーを取りモンキーを 持っていない方の手の指の間に挟んでくるくるっと回転させ、さっとそれをドライ ブに差し込んだ。  「いやー、年寄りは、どうしようもないですな。パソコンの操作さえ、よう覚え ん」  矢熊が毛の無い頭をそっと掻く。辻野は手際よくプリンタに向かい当日の記録を 打ちだすと用紙を谷村に渡した。  「発見前日の21時13分に5階の○○さんが出られた後、翌朝7時40分に清 掃員の方が入館されるまで出入りはありません」  「外部の者が昼間に、他の社員の方が入館したときにまぎれてビル内に入り、犯 行後どこかに潜んでいて翌日の午前中にでもまた他の社員にまぎれて外部に出たと いうことは考えられませんか」  私はそう質問してみた。辻野がそれに応えた。  「逃げるためにこのビルから出るなら外階段を使ってもいいわけですから。それ に、そのフロア内に留まっていればセキュリーティーシステムにはなんの記録も残 りませんが、犯行後にそこに居続けて朝は朝で清掃員や他の社員に危ぶまれずに行 動するというのは無理ですね。例えば天井裏に隠れるというようなことは、ここの システム天井のボードがそれほど丈夫でないため不可能です」  「ところで、機械警備の方は、入退館の情報は外部には発信されないんですか」  「ええ、あくまで無人となった部屋にカードを使わないで入った侵入警報だけが 警備会社に発信されて、その警報ではじめて巡回パトロール隊が駆けつけることに なっているんです」  あとは雑談のような形で応答の時間が流れ、挨拶すると谷村は帰っていった。