【電脳密室殺人事件】(3)  広田と私は電気技師の長谷川に案内され犯行の現場である4Fに足を運んだ。執 務中なのでエレベーターの前から室内を覗くだけにする。システム机がずらっと並 び、それぞれにパソコンやCRTが置かれてあり、各列の後尾にはプリンタが配備 されてある。普通の事務所と違うところは書類がやたらと積まれたままになってお り、雑然とした感じがするところだ。 そのあと1Fのロビーで長谷川は重要な情 報をもたらしてくれた。  「殺されたとき井坂さんはご自分のノートパソコンに向かっていて、仕事のデー タ分析を行っていたようなんですが、CRTの画面の最後に<KKYA>という意味不 明の文字が残されていたらしいんです。被害者の最後の入力ということで、犯行と 結びつく何らかの意味があるんではないかと、若い社員の方もおっしゃってました」  私は広田を見た。それは警察も知っている情報だということが、広田の上向きに なった視線で感じられた。  「うーん、謎解きですか、しかし社内の関係者の方にも分からない記号なんでし ょう?これは難問ですよね」  広田はとぼけた顔つきをして言う。  「いや、まったくの偶然ということもあるよ。あまり謎ときばかりに係わっても いられないよ」  警察もこの謎は解けていないものらしい。  「ところで長谷川さん、ご同僚の辻野さんは、いつもああやって工具を持ち歩い ていらっしゃるのですか」  「ええ、機械屋というのは、しょっちゅう機械に触って調整してその結果を見て また調整するというのが癖になるらしいんです。ボイラーの制御などもいわゆるフ ィードバックといいまして、水位や水温の結果を見ながら給水したり燃料の制御を 行うわけで、機械屋というのはそれが性格にまで影響をしてくるらしいのです。わ れわれ電気屋はそう簡単に電気に触るというわけにはいきませんからね。シーケン シャルに順序を追って結果を読み切ってからでないと対象に触れません」  「なるほど、電気の場合は触ったとたんに痺れてあの世行きといったことがある んでしょうからね」  「ええ。まあ、でもわれわれクラスは技術者としてはヒヨコみたいなもんで、あ の矢熊所長には遠く及びませんがね」  「矢熊さんも技術系の方なんですか」  「所長は新聞社の印刷部門の、現業系では最高のところまで上り詰めた方で、定 年退職のときには部長だったと伺っています。なんでも高校卒業後、入社されてか ら大学の電気科の二部に苦労しながら通われたそうなんです」  「ほう」  「退職後は新聞社の子会社の管理部門に嘱託として残って、2年間はそちらの事 務所で関連会社の入っているビルの管理関係の仕事をして、1年前にこのビルの竣 工と同時に管理所長として来られたようです。われわれもその時からのお付き合い なんですよ。もっとも新聞社の部長の頃からの癖でよくわれわれを怒鳴りつけて、 それをストレス解消の唯一の手段にされているようで……」  長谷川はその点ではまったく閉口しているのか、口を滑らせているのにも気づか ずしゃべり続けた。  「……所長は、竣工時このビルに来た当初は元気がありませんでした。だって、 勝手の分からないオフコンやパソコンに囲まれて、ご自分の知識経験がまったく生 かされないところに投げ込まれて、自分は会社から厄介者としてあつかわれている のではないかと随分悩んでいたようですからね」  どうやら話が事件と関係のない方向に進んで行きそうだ。  駅に向かう途中、広田は今日の感想を聞いてきた。  「うーん、谷村の説明を聞くと完璧な警備システムのようだが、利用する人間の 方の都合でいろんな問題を持ってしまうようだなあ。それに、もともと本社改築の ための実験的なシステムだということで、不備が多いような気がする」  「N社としてもなんとか新聞社の改築する本社で自社システムを採用してもらい たくて、かなり無理をしていろんなシステムを取り入れたようだが、費用を掛け過 ぎるわけにもいかんし、それなりに手抜きもあるみたいだな」  「説明を聞いた限りでは、ここのシステムは管理する人間次第で、いかようにも 特殊な使い方ができるような気がする。犯罪に利用することも。……といっても、 あのビル警備システムを人為的に操作できそうなのは長谷川と辻野しかいないが、 2人には動機がありそうにないなあ。あの2人のどちらかが殺された井坂女史に惚 れていて、振られた腹いせに……なんて事実でも出てくれば話は簡単なんだが」  「そうそう都合のいい動機が出てきたんじゃ、刑事は食いはぐれてしまうよ」  「犯人は社内の人間だろう。でないと、まずあのビルに出入りするのにカードが 必要だからね」  「うーん。殺された井坂女史には新聞社のトップに近い人間と結婚前に付き合っ ていたという噂があり、離婚後、その人物と寄りを戻したと言う噂もある」  「そんな噂がもう警察に伝わっているのか」  「うーん、派閥がらみ、旧組合系がらみで、相当複雑な内部抗争があって、情報 は洩れ易くなっているようだ」  「ところで、矢熊には、アリバイがあるのかい」  「さっきのデータにもあったが、矢熊は20時34分にビルを出ている。何でも あのビルの保全計画案を作成中で遅くなったと言っていた。それから駅前で一杯や って電車で帰ったということだが、飲み屋を出てからの目撃者はいない」  「だが、矢熊はパソコン音痴みたいだしなあ」  「ふむ、まあ、どちらにしても一度、新聞社の総務の方にも行ってみる必要があ るかもしれんな」  「迷宮入りだな、こりゃ、たぶん。たいして役に立てなくて悪かったな」   「いや、そんなことはない、大いに役に立った。事件が解決したら一杯おごって やるよ」  私は、そんなケチなことを言わないで今すぐに飲ませろと言いたいところをぐっ とこらえて、広田とは逆方向の電車に乗った。