【電脳密室殺人事件】(6)
2日後、ビルの中央監視室に関係者が集まった。矢熊、辻野、長谷川、それにS
Eの谷村もいた。挨拶と雑談の後、私は話をきりだした。
「新しいビルの運用システムを前にして、一見、大変に難しい密室殺人に見えま
すが、トリック自体は簡単です。犯人は夜間にIDカードを使って入館し、4Fで
殺害に及んだ後、セキュリティーシステムのパソコンのハードディスクとフロッピ
ーのデータから犯行に伴う入退館データの部分を削除した。退出時もカード操作が
必要なので、犯人は翌日の早い時間にその後もう一度このデータ削除の操作を行っ
たものと思われます。データの改ざん自体はテキストファイルをワープロで変更す
るだけのことだから、パソコンの操作が出来る者になら極めて簡単に短時間ででき
てしまいます。特に、実は私もそのひとりなんですが、パソコン通信などやってい
る者にとっては、ダウンロードしたログ等のテキストファイルの切り張り、編集と
いった動作は日常的なことです。改ざんしたデータはそのままなら改ざんした日時
で保存されますが、ここのセキュリティーシステムの場合は新しいデータが入力さ
れる度にファイルが更新されるため、改ざん後にカードリーダの操作があればその
時刻に関する情報も更新されるため、改ざんの記録は残らないことになります」
中央監視室内はしーんとしてしまった。辻野も今日は工具を手に持っていない。
「井坂淳子さんは死の間際に最後の力を振り絞ってという文字を入力され
ています。殺される人間が最後に残そうとするメッセージとは何か。それは犯人そ
のものを示す情報である可能性が高いと思われます。調べた結果、案の定、それは
犯人と思われる人間がパソコン通信で使っているハンドルネームだとわかりました。
井坂さんは家庭欄のデータを収拾する過程で、大手ネットの会議室でよく見かける
旅のれんネットの話題に興味を持ち、事件の数日前のことになりますが、自分も入
会したようです。そこである方がそのネットの会員であることを知った。旅のれん
ネットは実名公開ネットでハンドルネームだけでなくログの標題部には実名が表示
される仕組みになっているので会議室に書き込みがあれば本人を特定することがで
きるのです」
矢熊の顔が紅潮し目がつり上がってきた。
「犯人は、自分が、いや自分たちが会社から邪魔者扱いされていると感じていま
した。それどころか、追放されようとしているのを感じていたのです。犯行の前日、
かつて自分の腹心の部下だった者が退職後の再雇用の道を断たれ、しかも自分自身
も井坂女史の仕打ちによってクビにされようとしているのを知って、犯人は感情を
押さえることができなくなったものと思われます。会社のために死にものぐるいで
頑張ってきたのに、裏切られるという憎しみ。井坂女史に対する怨みと会社に対す
る言い切れない復讐の感情が彼を捉えたものと思われます」
「もういい、やめてくれ……」
矢熊の紅潮した顔は、一転憔悴しきって生気を失った。
「あの夜、わしは、自分があの女を本当に殺そうとしているのかどうか、半信半
疑じゃった。報道の正義こそが新聞社のプライドだと信じて会社についてきたんじ
ゃから。悪を許してはいけん。人を殺すなんてやっちゃいけん、わしにはできん、
そう思いながらわしはあいつのいる部屋の中にふらふらっと入っていったんじゃ。
ところがあいつはわしの方を振り向くとふんとせせら笑ってまたパソコンに向かっ
た。わしの中に怒りがこみ上げてきて、なにがなんだかわからないうちに、わしは
あいつを刺していた……」
言い終わるや否や矢熊の手は机の引き出しに伸びていた。何か薬の瓶のようなも
のを取り出し、開けようとする。
「やめろ」
私は瓶を奪おうと飛びかかった。その瞬間、矢熊の渾身の力を受けて床にもんど
りうって倒れた。矢熊ものけぞって瓶を手から離してしまった。宙を舞う瓶から白
い粉末がこぼれてタイルカーペットの床に散った。
「おまえら若いもんに負けてたまるか。わしゃ、パソコンだってできるようにな
ったんじゃ」
矢熊の目から涙がこぼれ落ちた。長谷川と辻野が両わきから矢熊をそっと支えた。
ビルを出たところで、約束通り広田が待っていた。矢熊がパトカーに乗りこむの
を見て、私は広田にいった。
「事件の直前に井坂女史が見せた笑いは、せせら笑いなんかじゃなくて、矢熊が
パソコン通信をやっているのを知って、おじさんあんたも頑張っていたのね、とい
うむしろ親しみをこめた笑いだったんだと思うよ。だから彼女の方には警戒がなか
った。矢熊にはそれを感じとる余裕がなかったんだろう」
「うーん、2人にもうちょっと時間があれば事件は回避できたかもしれん」
矢熊を乗せたパトカーは大通りを左折し車の流れの中に消えていった。
「今夜、飲ませろよ」
沈黙の後で、気を取り直した私は広田に声をかけた。
「あ、ごめん、今夜は張り込みがあるんだ」
「刑事って、忙しいんだな」
「ああ、忙しくて散髪にも行けん。だいぶ、伸びてきた」
「おれが、刈ってやろうか」
「断る。それだけは、なっ」
(了)